犬夜叉手書き動画について
2015.03.24 (Tue) | Category : from携帯
いやー、やっと完成させられて本当にお疲れ様です私。ここまで思い入れして作ったのはこれが一番かも。どの動画も頑張って作ったけど、この動画は3年という時間を掛けてふつふつと構想を練ってやっと形に出来たものなので。
今回この動画をふりかえってグダグダと文を書いてるので興味ある方はどうぞこのまま。
今回使用させていただいた曲はR.A.D.W.I.M.P.Sの「愛し」という曲で、これで「かなし」と読むそうです。古語で相手をいとおしい、かわいいと言う意味だそう。
犬夜叉を想う犬夜叉のお母さんにはじまり、犬夜叉が桔梗やかごめに対して抱いたのではないかと思うようなタイトルだなぁ、と構想を練ってから思いました。
この曲を聴いてまず思いつき絵にしたのが、犬夜叉をそばに寄せて悲しみと愛情の気持ちを寄せるお母さんの姿でした。美しいメロディーと歌声に、美しい記憶として残っていたらなという思いがあります。しかし場面はすぐに変わってお母さんは亡くなり、一人で生きていく犬夜叉のつらい日々を想像させられました。
次に思いついたのが桔梗の登場とかごめの登場です。想いあっていた犬夜叉と桔梗はすれ違い、憎しみあって終わってしまいましたが、そんなことでは終わらせられないと、神様はかごめを犬夜叉に会えるようにした…そんなストーリーが思いつきました。かごめの瞳には犬夜叉のわがままで乱暴な姿が多く目に移りますが、それでも分け隔てなく愛情を注ぎます。しかし犬夜叉には、その愛情が自分に向けられていることを始めは理解できません。すっかり枯れた心になってしまって、かごめが向ける愛情に始めは疑問や戸惑い、疑いだらけだったと思います。しかしかごめの分け隔てない愛情が、人々を繋げ仲間を増やしていったことや、敵意を向けても仕方がないと思える桔梗に対しても手を差し延べ涙を流すことから、犬夜叉も大切な人に対して涙を流せるようになれます。
桔梗とかごめだけのシーンですが、あれはなんというか、愛情の引き継ぎというか。桔梗に対しても愛情を向けられるかごめに桔梗も救われています。最後は亡くなってしまう時、かごめが自責の念を抱きますが、そんなかごめに「もう大丈夫」とか「あとは頼んだ」とか、そんなメッセージがあったらなと思い、あのシーンを入れました。
ちょっと悔いが残るのは奈落ですね。犬夜叉と同じ半妖で、桔梗という愛しい存在ができたということで、始めは同じ出発点だったとすると、犬夜叉は心を育てることが出来たのに対し、奈落は愛情が歪んでしまったという、対比の構造をとりたかったのですが、あまりうまく表現出来なかったのが力不足でした。本当は奈落と犬夜叉、二人がメインになってもいいんじゃないかと思うぐらいに考えていたので。だから冒頭で鬼蜘蛛と桔梗の出会いのシーンを入れていますが…なんでここで?って思われそうですね(><)
「君のいつだって誰かのためにあった心はいつもどれだけの自分を愛せただろう」「僕にいつだって優しくしすぎていた僕はいつもどれだけの誰かを愛せただろう」と思う犬夜叉が最後には「君のいつだって誰かのためにあった心はきっとそんな自分を愛したのだろう」「僕もいつか愛せるかな君のようになれるかな 僕はどれだけの誰かを愛せるかな」と更生し、成長し、前向きな心になったところが自分としては一番の見所(何を言っているんだ)ですね。
あとはかごめの幅広い愛情…でしょうか。
漫画を読んでいると、かごめが「ほっとけない」といって物語が進んでいることが多いので。これを作っていて、改めてかごめの心の豊かさに気がつきました。
そして描けば描くほど、原作を超えるようなシチュエーションのものは描けないと(当たり前ですが)実感しました。原作素晴らしい。おかげで結構模写した場面が多いです。
今回は犬夜叉、かごめ、桔梗、奈落に焦点を当てたので、他のキャラが影が薄く、他のキャラたちごめんよ…になってます。
出来た時は、形にできた喜びにひたる…と思いきや、意外と音合わせに苦戦して何度も動画の書き出しし直したりして疲れの方が上回ってしまいました。
でも完成できたことが3年前の自分からは考えられないことなので、本当に嬉しいです。
これが最後の動画になってもいいぐらい、犬夜叉愛を出し切った気がします。
にしても、まだ動画作ってるとは…って3年前の自分は思ってそうです。すみません。
もういい歳なんだから自重した方がいい気もしてきました。
楽しかったです。
犬夜叉、ありがとう。
楽しい時間を、本当に。
今回この動画をふりかえってグダグダと文を書いてるので興味ある方はどうぞこのまま。
今回使用させていただいた曲はR.A.D.W.I.M.P.Sの「愛し」という曲で、これで「かなし」と読むそうです。古語で相手をいとおしい、かわいいと言う意味だそう。
犬夜叉を想う犬夜叉のお母さんにはじまり、犬夜叉が桔梗やかごめに対して抱いたのではないかと思うようなタイトルだなぁ、と構想を練ってから思いました。
この曲を聴いてまず思いつき絵にしたのが、犬夜叉をそばに寄せて悲しみと愛情の気持ちを寄せるお母さんの姿でした。美しいメロディーと歌声に、美しい記憶として残っていたらなという思いがあります。しかし場面はすぐに変わってお母さんは亡くなり、一人で生きていく犬夜叉のつらい日々を想像させられました。
次に思いついたのが桔梗の登場とかごめの登場です。想いあっていた犬夜叉と桔梗はすれ違い、憎しみあって終わってしまいましたが、そんなことでは終わらせられないと、神様はかごめを犬夜叉に会えるようにした…そんなストーリーが思いつきました。かごめの瞳には犬夜叉のわがままで乱暴な姿が多く目に移りますが、それでも分け隔てなく愛情を注ぎます。しかし犬夜叉には、その愛情が自分に向けられていることを始めは理解できません。すっかり枯れた心になってしまって、かごめが向ける愛情に始めは疑問や戸惑い、疑いだらけだったと思います。しかしかごめの分け隔てない愛情が、人々を繋げ仲間を増やしていったことや、敵意を向けても仕方がないと思える桔梗に対しても手を差し延べ涙を流すことから、犬夜叉も大切な人に対して涙を流せるようになれます。
桔梗とかごめだけのシーンですが、あれはなんというか、愛情の引き継ぎというか。桔梗に対しても愛情を向けられるかごめに桔梗も救われています。最後は亡くなってしまう時、かごめが自責の念を抱きますが、そんなかごめに「もう大丈夫」とか「あとは頼んだ」とか、そんなメッセージがあったらなと思い、あのシーンを入れました。
ちょっと悔いが残るのは奈落ですね。犬夜叉と同じ半妖で、桔梗という愛しい存在ができたということで、始めは同じ出発点だったとすると、犬夜叉は心を育てることが出来たのに対し、奈落は愛情が歪んでしまったという、対比の構造をとりたかったのですが、あまりうまく表現出来なかったのが力不足でした。本当は奈落と犬夜叉、二人がメインになってもいいんじゃないかと思うぐらいに考えていたので。だから冒頭で鬼蜘蛛と桔梗の出会いのシーンを入れていますが…なんでここで?って思われそうですね(><)
「君のいつだって誰かのためにあった心はいつもどれだけの自分を愛せただろう」「僕にいつだって優しくしすぎていた僕はいつもどれだけの誰かを愛せただろう」と思う犬夜叉が最後には「君のいつだって誰かのためにあった心はきっとそんな自分を愛したのだろう」「僕もいつか愛せるかな君のようになれるかな 僕はどれだけの誰かを愛せるかな」と更生し、成長し、前向きな心になったところが自分としては一番の見所(何を言っているんだ)ですね。
あとはかごめの幅広い愛情…でしょうか。
漫画を読んでいると、かごめが「ほっとけない」といって物語が進んでいることが多いので。これを作っていて、改めてかごめの心の豊かさに気がつきました。
そして描けば描くほど、原作を超えるようなシチュエーションのものは描けないと(当たり前ですが)実感しました。原作素晴らしい。おかげで結構模写した場面が多いです。
今回は犬夜叉、かごめ、桔梗、奈落に焦点を当てたので、他のキャラが影が薄く、他のキャラたちごめんよ…になってます。
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犬夜叉、ありがとう。
楽しい時間を、本当に。
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